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           代表挨拶     GREETING



      理事長 湊 素仙 
    
                   (石州流茶道水戸何陋会)

 今年は戦後70年になります。本年全国大会が開催された水戸市も焼け野原になりました。いまから100年前の年号は大正4年(1915年)であり、その8年後の大正12年(1923年)9月関東大震災が起こり東京は焼け野原になりました。死者も沢山出ました。

 昭和15年(1940年)太平洋戦争が勃発し、国内外が戦場になり工場や家屋が破壊されつくし、数多くの犠牲者が出ました。主要都市である会員各位の国内各地も空爆と艦砲射撃で壊滅の状況であったかと思います。それでも災害や爆撃にあいながら、その後驚くべく全国民が日本人独特の努力と忍耐で、復興に復興を重ねて平和が訪れました。経済大国にも仲間入りして日本人の大半が中流以上の生活を営んでまいりました。ところが近年またもや地震や自然災害で財産や命をも奪われております。私も平成21年3月11日の東日本大震災を身近に体験し、4年たった今日まだ復興できない現実に先人の偉大さに感服しております。

 わたくし達はこの時代をのりこえて、次世代に平和であることの大切さを、伝え残すことが大事かと思います。このような激動の中、名品と言われた有名な茶道具がいくつも破損し、焼失したものも多くありました。私たちの先人たちは茶の心を必死に守り、1日でも早く復興し茶の湯を楽しめる日が来るのを楽しみにしていたに違いありません。
水戸徳川家9代藩主斉昭公は2代目藩主光圀公の再来かと言われた方で、文武に優れ行動力もあり時代の先端を行った人と聞いております。厳しい藩財政の中、領地に戻り学問所の藩校「弘道館」と「偕楽園」がほぼ同時に天保12年から13年(1841〜1842年)に開設されました。

 水戸偕楽園公園にある好文亭の茶室「何陋庵」の待合の壁に板額が3枚はめ込んであります。これは斉昭公が茶の湯の心得をしたためたものです。1枚は「巧詐不如拙誠」(こうさせっせいにしかず)です。目先の点前や道具を良く見せるより、下手な点前でも、立派な道具でなくても真心のこもったものに敵うものはない。というものですし、もう1枚は「茶対」(ちゃのたい)です。斉昭公がある人から「茶の湯の心得」を問いかけられたという前提で書き記したものです。茶の味は甘くて苦い、茶室、茶器、茶庭の良し悪し、茶会は費用を掛けずに数多くしなさいと現代に伝えております。他の1枚は「茶説」で茶は礼に始まり、礼に終わることを明文化しております。質素倹約を徹底しながら茶の湯を通して藩士に茶人の心得を説いたものだと思います。それがこの板額です。

 千利休は「茶の湯とはただ湯を沸かし茶を点てて 飲むばかりなりもとを知るべし」「釜一つ持てば茶の湯はなるものをよろずの道具好むはかなさ」と謳っております。全く相通ずるところがあり、藩主の茶の造詣の深さを垣間見ることができます。 最近茶会では道具の立派さだけが目につき、茶を点てる人の姿が薄く感じられます。流派によっては家元の箱書きや花押の張ったものでなくては道具でないようなところもありと聞いております。

 前述のような戦後や被災後、何もない中で主客が楽しんだ茶の湯の時代を私たちは忘れることなく、後世につないでゆくことが使命であり義務だと思います。全日本石州流茶道協会は全国の石州流を、他流の流れや波に飲み込まれないように必死に耐えて、伝えようとしている仲間と手を携えて、発展させなくてはならないと思います。


                                        平成27年10月

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