石州清水流

来 歴
 石州清水流は,伊達藩の御家流である。藩祖伊達政宗公の茶道師範として先祖初代清水道閑が京都より招かれて、五百石を賜り,仙台藩の茶道を確立した。清水道閑は、小堀遠州公とともに古田織部の門に入り、奥義を極め、皆伝を受けた。その折り猿曳棚を拝領している。
 遠州公と政宗公は極めて御じっ懇の間柄になられ、遠州公が仙台に参られる度に道閑は随行して参り、遠州公の茶友としてご相伴にあずかった。政宗公は道閑の茶の力量を見届けられ、遠州公の御推薦で茶道の師範として道閑を仙台に招へいした。
 二代動閑(小猿動閑)は、藩命により片桐石州侯に13年にわたって指導を受け、皆伝を受けて仙台に戻り、父道閑(古道閑)と共に石州清水流を確立し,殿様に献じて仙台藩の御家流とした。
 三代紹怡は,茶道より医業に秀でていたため、茶道で藩に仕える後嗣者にはならなかった。藩の茶道の三代は弟子の馬場道斉が受け継ぎ、清水道竿と改名して藩務を行った。
 しかし、紹怡もその後さらに茶の湯に修業を重ねて、快閑と号し、四代藩主綱村公から茶人と認められる茶の湯者となった。
 伊達藩としての江戸屋敷や国元での公式行事等の公の場における茶の湯については三代道竿以降の藩の茶道頭が勤めたのであるが、仙台藩の奥向きの茶の湯等プライベートな場の茶の湯については、三代快閑以降の清水家が代々お仕えしてきている。
 現在の十三代清水道関は、父の十二代道幽に師事し、没後家元を継承した。
小 系
■初代/清水道閑/宗怡天正7年~慶安元年1579~1648
■二代/清水動閑/紹之慶長15年~元禄4年1614~1691
■三代/清水快閑/紹怡慶安4年~享保元年1651~1716
■四代/清水道慶/紹治元禄7年~延享4年1694~1747
■五代/清水道先/紹玄享保11年~宝暦7年1726~1757
■六代/清水道啓/紹善宝暦4年~明和6年1754~1769
■七代/清水道先/要源延享2年~天保5年1745~1834
■八代/清水道圓/紹定安永3年~文化3年1774~1806
■九代/清水動慶/紹芳寛政11年~明治4年1799~1871
■十代/清水道先/紹延文政7年~明治25年1824~1892
■十一代/清水道弘/紹雄文久2年~大正13年1862~1924
■十二代/清水道幽/信雄明治30年~平成3年1897~1991
■十三代/清水道関/信義昭和3年~1928~
教 室 (社 中)